吉田拓郎「落陽」

私が中学校三年生 (1978年) のとき,最も気の合った友人の兄が吉田拓郎のファンだった.長髪で,いつもギターを弾いていた.その頃の私は「吉田拓郎???」ってな感じの中坊でした.しかし,この年齢になって聞いてみるとなかなか良い.とくに,YouTube にアップされていたの動画「洛陽」はしびれる.

落陽は1973年にリリースなので,いまから45年も前の歌です.それでもぐっとくるものがあるのは,年齢のせいか.Yahoo! 知恵袋に若者の感想が書かれていた(以下は原文).ちょっと可笑しかった.

吉田拓郎さんの「落陽」って曲ですが、何がいいのかまったく分かりません。歌詞の意味が分からないし、何を訴えたいのか理解不能です。馬鹿な私(23歳)に分かりやすく教えていただけないでしょうか?

私の上司(52歳)がカラオケでいつも必ず歌うんです。それも必ず涙を流しちゃうんです。すごく思い入れのある曲なんだな~と何となくは分かるのですが、少し異常さを感じるほど男泣きに泣きながら絶叫して歌うんです。初めて聞いたときは凄いな~、カッコイイな~と思いましたが、さすがに毎回毎回聞かされると、最近はウザったくなってきました。

そこで、私なりにどんな曲なのか分析してみようと思い、ダウンロードして聞いてみました。ところが、さっぱり分からないんです。お土産にサイコロ?すってんてんの爺さん?戻るたびに日が沈む?などなど・・・。

一体、私の上司はどんなところに感動しているのか?上司に直接聞いてみても、「お前には、この歌の良さは分からんよ。」といつもはぐらかされてしまい、教えてくれません。

伊豆旅行

10月20 – 21 日に一泊二日で伊豆へ旅行へ行きました.予定のコースは以下の遠織りです.

伊豆の地図
伊豆の地図

10月下旬なので天候は良いだろうと思っていましたが,季節外れの長雨が続いています.さらに,当日は台風が近づいていました.当初の計画はは厳しそうです.

伊豆へは東京駅 08:26 発,三島駅 09:22 着のこだま号を使いました.三島駅から,レンタカーです.

修善寺

まずは,修善寺へ行きました.金曜日,しかも少しの雨だったので,人はまばらでした.川の辺りに足湯があり,それにつかると気持ちが良いです.北又川の辺りは,川と緑,赤い橋が調和が取れており,良い景色です.もう少しすれば見事な紅葉を見ることができます.修善寺ともに日枝神社にも行きました.日枝神社には人懐っこい猫がいて,遊んでくれます.昼食は,禅風亭なゝ番の禅寺そばです.これはお勧めできます.

天城トンネル

修善寺を出て,天城トンネルに向かいます.ここは川端康成の「伊豆の踊子」や松本清張の「天城越え」の舞台となった場所です.

国道414号線と旧下田街道との分岐点にある水生地下駐車場に車を停めます.ここからトンネル入口までは 1.8 [km] です.国道の脇の舗装されていない道 (下田街道) に入ります.横に川が流れており,天気が良ければ大変美しい道です.日本の道100選に選ばれただけのことはあります.伊豆の踊子の出だしは次のように書かれています.

道がつづら折りになって,いよいよ天城峠に近づいたと思うころ,雨脚が杉の密林を白く染めながら,すさまじい速さでふもとから私を追って来た.私は二十歳,高等学校の制帽をかぶり紺がすりの着物にはかまをはき,学生カバンを肩にかけていた.一人伊豆の旅に 出てから四日目のことだった.修善寺温 泉に一夜泊まり,湯ケ島温泉に二夜泊まり,そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった.重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見とれながらも,私は一つの期待に胸をときめかして道を急 いでいるのだった.

しばらく歩くと,天城トンネルに到着します.当日は霧が出ており,かなり良い雰囲気です.トンネルは石造りで,内部はレトロそのものです.

私は歩いて天城トンネルまで行きましたが,車で行くこともできます.道は狭いですが,すれ違うこともできます.まあ,トンネルの入口には駐車スペースがあります.観光シーズンはどうかは分かりませんが,私が行った日には車は停まっていませんでした.また,トンネル入口には整備されたトイレもあります.

西伊豆と堂ヶ島

今回の旅行のメインイベントは西伊豆の夕日と撮影することです.しかし,雨が降ったりやんだりで,ずっと雲がかかっていました.ところが,伊豆を東西に分ける分水嶺の山のトンネルを抜けると,青空になっていました.奇跡が起きたかのようです.土肥から堂ヶ島に向けて海岸線をドライブです.海岸線近くまで山が迫っており,素晴らしい景色です.今日の宿は堂ヶ島です.早めにチェックインし,部屋から夕日を撮影する準備です.しかし,水平線近くは厚い雲がかかっており,夕日の撮影はダメでした.温泉と夕食で,その日は終わりです.

石廊崎

二日目の天気もいまいちです.ひどいというわけではないが,小雨が降ったりやんだりです.ガラ空きの道を海岸つたいに南下し,石廊崎を目指します.

石廊崎遊覧船乗り場の手前の空き地に車を停めて,歩いて石廊崎を目指します.あちこちにソテツが生えており,南国という感じです.しばらく歩くと,伊豆南端の石廊崎の灯台が見えます.その横を通り,岬の端に行きます.ここは絶景です.山本コータローとウィークエンドの「岬めぐり」の歌詞が思い浮かびます.

あなたがいつか話してくれた
岬を僕はたずねて来た
  途中省略
くだける波のあのはげしさで
  省略

伊豆ガラス工芸美術館

石廊崎を後にして下田方面に向かいます.ここで雨が強くなってきたので,下田の散策は取りやめました.途中で食事とお茶を飲んで,伊東方面を目指し伊豆半島を北上します.晴れていれば,車の外に見える景色は素晴らしいものだったでしょう.残念なことに雨でした.

帰路の途中で,伊豆ガラス工芸美術館が見えたので寄り道する.小さな美術館ですが,ガレがあり,結構楽しめます.ガレ風のランプ (ルーマニアガレ?) があり,もうちょっとのところで購入するところでした.デザインはまずまずです.

ウェッジウッド ジャスパーの黄ばみを取る方法

ウエッジウッド社のジャスパーは,青色(他の色もある) 素地の表面に白色のレリーフの装飾が施された美しい焼き物 (炻器) です.このレリーフが黄ばむ (変色する) ことがあります.特に,レリーフと下地の間が黄ばみやすいく,少々のことでは取ることができません.最初,私は爪楊枝でこすりましたが,全く無駄でした.いろいろと試したところ,過炭酸ナトリウム (酸素系漂白剤: 2Na2CO3·3H2O2) を使うと良い塩梅で黄ばみが取れることが分かりました.過炭酸なトリムは,Amazon で購入可能です.下の方にリンクを貼っておきます.

ネットオークションで黄ばんだウエッジウッド・ジャスパーを落札しました.数百円です.レリーフに茶色に近い色に変色した黄ばみがありました.これを過炭酸ナトリウムで真っ白にします.具体的な手順は,以下のとおりです.

  1. ジャスパー全体を水で浸すことができる適当な容器に入れます.そして,黄ばんだ部分に過炭酸ナトリムをふりかけます.
  2. 60 [度] 程度の湯を入れます.すると,過炭酸ナトリウムから泡が出ます.
    ジャスパーに過炭酸ナトリウムを振りかけ,湯に浸す.
    ジャスパーに過炭酸ナトリウムを振りかけ,湯に浸します.
  3. この状態で,1時間くらいほったらかしにします.
  4. 過炭酸ナトリウムの液から取り出します.
  5. 水洗いして,乾燥させたら完了です.

以上の方法で,ウェッジウッド・ジャスパーの黄ばみは完璧に取れます.さらに,レリーフもも真っ白になります.

過炭酸ナトリウムは,Amazon で購入可能です.

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昔の思い出 (6歳頃:ブラジルの蝶々)

ブラジルに住んでいた時,隣の家 – 2km はゆうに離れている –
の5歳くらいの子供が蝶の標本を作っているのを見た.その時,私も同じくらいの年齢だが,妙に感動した記憶がある.標本といっても,そこらにある板に,捕まえた蝶々を釘で打ち付けただけのものである.普通に考えるとみすぼらしい標本だろうが,蝶々がとても美しく,なにか別世界のものを見ているような感じがした.羽が青や緑に光っている.電気も通っていない田舎に住んでいたので,光るものなんか見たことがなかったから,感動したのかもしれない.原始人がレーザーや青色LEDを見たような感じと言えば分かるだろう.

モルフォ蝶.
モルフォ蝶.ブラジルの蝶々は美しい羽を持ったものが多い.

その後,標本を作るわけではないが,ときどき蝶々を捕まえた.網なんか持っていないからざるで捕まえ,それを地面に逆さまにして活かしておく.ざるの中の小さなな美しい蝶々を今でもよく覚えている.

たぶん南米では一般的だろうが,ブラジルの蝶々はとても美しい.ピカピカ光った羽で飛び回っている.日本の蝶々はとても地味に見える.日本でとても上手に作られた蝶々の標本をいくつか見たが,あの時見た標本ほど美しい物を見たことがない.遠い昔の記憶である.もう一度,ブラジルに行って蝶々を捕まえたい — と考えている.

昔の豊洲を訪ねて

私は,1986年に石川島播磨重工業株式会社 (現 IHI) に入社し,その年の10月から東京第二工場 (江東区豊洲4丁目) が職場でした.工場内には新豊洲寮があり,独身の23—27歳まで住んでいました.当時の豊洲は IHI の東京第一工場と東京第二工場があり,いわゆる工場地帯です.30年ほど前の話です.今は豊洲も大きく様変わりし,タワーマンションとオフィスビルが林立した近代的な街になっています.

今でも私は豊洲近くに住んでおり,毎日,豊洲駅を利用しています.今日,ちょっと時間があったので,昔の豊洲の記憶にあるものを写真撮影しました.

IHIの東京第二工場には,沢山のユーカリの木が植えられていました.その一部がかつて工場であった一角に残っていました.

IHI東京第二工場のユーカリ
IHI東京第二工場のユーカリ

いろいろと探しましたが,当時の東京第二工場が偲ばれるものは,このユーカリの木のみでした.

ちょうど当時の独身寮を出たところに,セブンイレブンがありました.このセブンイレブンは今でも営業を行っています.

豊洲のセブンイレブン
豊洲のセブンイレブン

当時の豊洲はあまり店が無く,このセブンイレブンは独身寮の住人にはとても便利なものでした.この豊洲店は,日本で最初のセブンイレブンとのこと.

セブンイレブンの横にはスーパーのたつみチェーンがあります.これも,昔からありました.

たつみチェーン
たつみチェーン

しばらく歩くと,散髪屋さんがあります.ここも独身の時にお世話になりました.

豊洲理髪館
豊洲理髪館

元に戻りセブンイレブンの横の横断歩道を渡ると,食堂と飲み屋の「味処 いちむら」があります.昔のままです.

味処 いちむら
味処 いちむら

ちょっと路地に入ると,食堂「まるはな」があります.独身寮の食事がないときは,大抵この食堂を利用しました.カレーが美味しかったです.

まるはな食堂
まるはな食堂

今日(休日)はお休みですが,平日は営業しています.いまだに,当時のおばちゃんが店を続けています.おじちゃんの方は亡くなられたのかも.見ないです.

「まるはな」の反対側は当時と変わらない,都営住宅があります.

豊洲の都営住宅
豊洲の都営住宅

都営住宅からセブンイレブンの方に向かうと,「金井寝具店」と「落合靴店」があります.利用したことはありませんが,当時のままです.

古くからある寝具店と靴屋
古くからある寝具店と靴屋

ブラブラと昭和の豊洲を探した結果です.