内容の無い小洒落たブログは嫌いだ

近頃,薄っぺらい内容のくせに小洒落たブログが氾濫している.ほとんど情報の無い文章と,どこからか取ってきた(購入した)写真で構成されたページが多い.内容が無いので,きれいな写真で誤魔化している.デザインはそれなりに見えるが,とても印象が悪い.加えて,広告が多いと,読む気が起きない.

このようなブログが少ない時は我慢ができたが,雨後の筍のようになると,「トホホ」というような感じである.それよりかは,

  1. 下手でも,自分で写真を撮れ! 下手なイラストでもよい.
  2. 内容の有る文章を,自分の言葉で書け! 下手な文章でもよい.

一見,このようなブログはセンスがなく,ダサいかもしれない.しかし,言いたいことが素直に伝わる.私はこんなブログが好きだ.

そもそも,写真やイラストが必要かどうかを考えなくてはならない.読者からすると,デザイだけの写真などは,目障りで仕方ない.

吉田拓郎「落陽」

私が中学校三年生 (1978年) のとき,最も気の合った友人の兄が吉田拓郎のファンだった.長髪で,いつもギターを弾いていた.その頃の私は「吉田拓郎???」ってな感じの中坊でした.しかし,この年齢になって聞いてみるとなかなか良い.とくに,YouTube にアップされていたの動画「洛陽」はしびれる.

落陽は1973年にリリースなので,いまから45年も前の歌です.それでもぐっとくるものがあるのは,年齢のせいか.Yahoo! 知恵袋に若者の感想が書かれていた(以下は原文).ちょっと可笑しかった.

吉田拓郎さんの「落陽」って曲ですが、何がいいのかまったく分かりません。歌詞の意味が分からないし、何を訴えたいのか理解不能です。馬鹿な私(23歳)に分かりやすく教えていただけないでしょうか?

私の上司(52歳)がカラオケでいつも必ず歌うんです。それも必ず涙を流しちゃうんです。すごく思い入れのある曲なんだな~と何となくは分かるのですが、少し異常さを感じるほど男泣きに泣きながら絶叫して歌うんです。初めて聞いたときは凄いな~、カッコイイな~と思いましたが、さすがに毎回毎回聞かされると、最近はウザったくなってきました。

そこで、私なりにどんな曲なのか分析してみようと思い、ダウンロードして聞いてみました。ところが、さっぱり分からないんです。お土産にサイコロ?すってんてんの爺さん?戻るたびに日が沈む?などなど・・・。

一体、私の上司はどんなところに感動しているのか?上司に直接聞いてみても、「お前には、この歌の良さは分からんよ。」といつもはぐらかされてしまい、教えてくれません。

枠付の文書 (表形式文書)

文書の一部を枠付にしたり,表のようにすることがある.日本語の文書,特に公的機関が使う文書にこのスタイルが多い.この文書スタイルは,安易に文書の構造を示すことができ,便利である.しかし,このような文書構造を使うことは避けるべきであると,私は考える.理由は,次の通り.

  • 英語の文書では,複雑な表形式は使われない.私は見た記憶がない.長いこと使われたタイプライターでは,表形式の文書の作成は困難だったからと推測している
  • その文化を継承した Microsoft Word では,表形式の文書の作成が苦手である.
  • Word で文書を書く場合,表形式の文書はストレス100倍.ちょっとした事でフォーマットが崩れ,その修正に多くの時間を要すからである.
  • 要するに表の機能を使い文書を書いてはならない—と私は主張する.では,一体どうするのか? 普通に使われる文書作成のテクニックを使えば良い.例えば,(1)章立て,(2)段落,(3)箇条書き,(4)引用,(5)タブによる位置揃え,などを使えばわかりやすい文書ができるはずである.

    文章を書くということ — 作文教育批判 —

    今後,ますます多くの人が仕事で文書を書くことを要求されるだろう.社会が発展するに従い,文書を作成する仕事増えてくるからである.かつて,文書の作成は一部のエリートの仕事であった.しかし,いまでは多くの人が普通に,仕事で文書を書いている.したがって,きちんとした文書を書く訓練 (教育) が重要となるが,日本の教育の遅れは惨憺たるものである.ちょっと前に,国に提出する文書 (研究開発の提案書) を作成したが,指定のフォーマットが酷すぎた.何回も同じことを書かせるし,節と箇条書きの区別すらできていなかった.

    そんな中,「村上式シンプル英語勉強法」(著者:村上憲郎)に面白いことが書いてあった.

    私がアメリカにいたときのこと.…,あるときエレメンタリースクール(小学校)の関係者に話を聞く機会があったんです.
    学校には「エッセイ(essay)」という授業がありました.日本で言えば作文です.それで,何を基準にしてどうやって評価しているのかを聞いてみたんです.
    まず手書きのエッセイは評価が最も低いのだそうです.タイプライターで書いてあればよし.ワープロだとさらによし.それも,いろいろなフォントが使い分けすれば,もっとよし.これが最初の評価基準だと.
    そして次がフォーマット.きちんと章立てしてあるとか,自分の主張と引用部分が明確に分かるように引用符やフォントを駆使しているとか,….これが2番目の評価基準.
    「じゃあ,エッセイの内容は?」と聞くと,「私たちはエッセイの内容そのものを評価はしない.…,論理的に整合性を持って,論述されていればよろしい.見ているのは,そのエッセイがフォーマットされて,読みやすく整理されているかどうかだけだ」と.…

     

    あたりまえのことだが,文書は読みやすいことが最も重要だ.アメリカの小学校の作文の教育ではそれが実践されている — ことをこのエピソードは示している.翻って,日本はとなるとお寂しい限りだ.