1 内積 (スカラー積)

1.1 内積が現れる演算

エネルギーは,「力$ \times$距離」とよく表現される.例えば,重力場に質量$ m$ の物体 があり,それを垂直に$ r$だけ手で移動させたとする.実際には,物体は鉛直方向 に重力により引っ張られており,その力は$ mg$である.その力に抗して,手はそれ と同じ大きさで反対方向に力$ F$を加え,物体を$ r$引き上げたことになる.こ の場合,この物体の位置エネルギー(ポテンシャル)の増加$ \Delta U$は,$ F r$ となるのは力学で学習したとおりである.

今度は,先ほどと同じ距離で,物体を真横に移動させたとする.この場合,位置エネルギー の変化$ \Delta U$はゼロである.また,斜めに移動させた場合は, $ \Delta U=Fr\cos\theta$となる.これは,高さの変化分が,位置エネルギーの変化になるからであ る.手の力の方向は,この3とおりの場合まったく同じで,垂直方向である.この垂直方 向の力$ F$と移動方向との角度を$ \theta$とすると,3通りとも同じ式

$\displaystyle \Delta U=Fr\cos\theta$ (1)

でエネルギーの変化をあらわすことができる.

ちょっと余談であるが,これまで,3通りの方法で物体を移動させた.図を見て分かるよ うに,物体を移動させるとき手にかかる力は同じである.同じ力なのに,移動方向が違う のである.厳密に考えると,移動が始まる瞬間に加速度が生じその力が本当は必要なので あるが,ここでは無視している.ゆっくり,本当にゆっくり移動させたことを考えるので ある.もう少し思考実験を進めると,手と物体との間にばね秤をつけると,力の様子が分 かる.本当にゆっくり動かせば,3通りの移動ともばね秤が示す重さは$ m$で力が同じであ ることが分かるであろう.

話は元に戻るが,力と物体の移動量はベクトル量なので $ \boldsymbol{F},\,\boldsymbol{r}$と書 いたほうが格好良い2.そうすると,位置エネルギーの変化 は,

$\displaystyle \Delta U=\vert\boldsymbol{F}\vert\vert\boldsymbol{r}\vert\cos\theta$ (2)

となる.この式の右辺が内積(スカラー積)の演算である.

図 1: 垂直方向への移動
\includegraphics[keepaspectratio, scale=1.0]{figure/vertical_move.eps}
図 2: 水平方向への移動
\includegraphics[keepaspectratio, scale=1.0]{figure/horizontal_move.eps}
図 3: 斜めへの移動
\includegraphics[keepaspectratio, scale=1.0]{figure/angle_move.eps}

1.2 内積(スカラー積)の定義

前回の講義で示したように,z軸を中心として回転させた場合,座標の変換は次のようになる.

  $\displaystyle x^\prime=x\cos\theta+y\sin\theta$   $\displaystyle y^\prime=-x\sin\theta+y\cos\theta$   $\displaystyle z^\prime=z$   (3)

ベクトル量の各軸の成分も座標の回転により変化する.その変化は,座標の変換と同じである.

  $\displaystyle F_x^\prime=F_x\cos\theta+F_y\sin\theta$   $\displaystyle F_y^\prime=-F_x\sin\theta+F_y\cos\theta$   $\displaystyle F_z^\prime=F_z$   (4)

ここで,スカラー量というものを定義する.それは,座標軸を変えても,変化しない量とする.例えば,原点からの距離 $ \vert\boldsymbol{r}\vert$を考える.直感的にこれは座標軸を変えても変化しないと分かる.座標変換の式を使い,ちゃんと計算してみる.距離は平方根の計算が含まれて厄介なので,その2乗 $ \vert\boldsymbol{r}\vert^2$を計算する.式(3)から,

$\displaystyle x^{\prime 2}+y^{\prime 2}+z^{\prime 2}$ $\displaystyle =(x\cos\theta+y\sin\theta)^2+(-x\sin\theta+y\cos\theta)^2+z^2$    
  $\displaystyle =x^2\cos^2\theta+2xy\cos\theta\sin\theta+y^2\sin^2\theta+x^2\sin^2\theta-2xy\cos\theta\sin\theta+y^2\cos^2\theta+z^2$    
  $\displaystyle =(x^2+y^2)\cos^2\theta+(x^2+y^2)\sin^2\theta+z^2$ (5)
  $\displaystyle =x^2+y^2+z^2$ (6)

となる.これから,距離の2乗 $ \vert\boldsymbol{r}\vert^2$は座標系を回転させても変化しない量であることがわかる.このような量がスカラー量である.同じように,式(4)から,ベクトルの大きさもスカラー量であることが分かる.すなわち

$\displaystyle F_x^{\prime 2}+F_y^{\prime 2}+F_z^{\prime 2}=F_x^2+F_y^2+F_z^2$ (7)

である.

ベクトルの大きさの計算と全く同じようにして,ベクトル $ \boldsymbol{A}$ $ \boldsymbol{B}$の積,

$\displaystyle \boldsymbol{A}\cdot\boldsymbol{B}=A_xB_x+A_yB_y+A_zB_z$ (8)

もスカラー量となる.この演算は,座標系を回転させても,同じ値となる.この証明は課 題とする.これは,スカラー積(内積)と呼ばれる演算である.次に,最初のエネルギーの 話のときできてきたコサインを使った演算と,この内積が等しいことを示す.すなわち

$\displaystyle A_xB_x+A_yB_y+A_zB_z=\vert\boldsymbol{A}\vert\vert\boldsymbol{B}\vert\cos\theta$ (9)

を証明したい.ここで,$ \theta$はベクトル $ \boldsymbol{A}$ $ \boldsymbol{B}$の間の角度である.これ を証明するために,座標を回転させる.左辺はスカラー量であるため,座標系を回転させ ても値は変わらない.座標回転後の新しい $ \mathrm{x}$軸を $ \boldsymbol{A}$の方向にする.する と,ベクトル $ \boldsymbol{B}$ $ \mathrm{x}$軸の間の角度は$ \theta$となる. $ \boldsymbol{B}$ $ \mathrm{y},\mathrm{z}$軸との角度を $ \zeta,\eta$とすると,新たな座標系でのベクトルの成分は,

  $\displaystyle A_x=\vert\boldsymbol{A}\vert$   $\displaystyle A_y=0$   $\displaystyle A_z=0$ (10)
  $\displaystyle B_x=\vert\boldsymbol{B}\vert\cos\theta$   $\displaystyle B_y=\vert\boldsymbol{B}\vert\cos\zeta$   $\displaystyle B_z=\vert\boldsymbol{B}\vert\cos\eta$ (11)

となる. $ \cos\theta,\,\cos\zeta,\,\cos\eta$はそれぞれの軸との方向余弦である.従って,内積の 定義より,

$\displaystyle \boldsymbol{A}\cdot\boldsymbol{B}$ $\displaystyle =A_xB_x+A_yB_y+A_zB_z$    
  $\displaystyle =\boldsymbol{A}\vert\vert\boldsymbol{B}\vert\cos\theta$ (12)

となる.これを内積の第二の定義と考えることができる.実際には,式(8)と 式(12)の簡単な方を使えば良い.また,スカラー積の定義から,

$\displaystyle \boldsymbol{A}\cdot\boldsymbol{B}=\boldsymbol{B}\cdot\boldsymbol{A}$ (13)

であることが直ちに分かる.この演算では交換法則が成り立っている.

本日,最初に示した位置エネルギーの変化 $ \Delta U=\vert\boldsymbol{F}\vert\vert\boldsymbol{r}\vert\cos\theta$ は 内積の演算になっていることが分かる.

$\displaystyle \Delta U=\boldsymbol{F}\cdot\boldsymbol{r}$ (14)

そして,これはスカラー量となる.エネルギーはスカラー量なので当然の結果である.

最後に $ \mathrm{x},\,\mathrm{y},\,\mathrm{z}$軸の単位ベクトル $ \boldsymbol{i},\,\boldsymbol{j},\,\boldsymbol{k}$の内積の演算を示しておく.

\begin{equation*}\begin{aligned}&\boldsymbol{i}\cdot\boldsymbol{i}=1 & &\boldsym...
...mbol{j}=0 & &\boldsymbol{k}\cdot\boldsymbol{k}=1 \\ \end{aligned}\end{equation*}


ホームページ: Yamamoto's laboratory
著者: 山本昌志
Yamamoto Masashi
平成18年5月26日


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